昨日はハロウィンが例年にない盛り上がりを見せていたようですが、みなさん今日が何の日か忘れていませんか?
そう、「古典の日」です。
2012年、「古典の日に関する法律」が制定され、11月1日は「古典の日」となりました。
古典は「いま」と「ここ」を違った角度から見えるようにしてくれる魔法のメガネです。
たとえば、『山椒太夫』という作品を読めば「倍返し」が熱狂的に支持される今の日本も少し違って見えてくるかもしれません。
ドラマ『半沢直樹』では「やられたらやり返す、倍返しだ!」というセリフとともにライバルを土下座させるシーンが注目を集めました。
現代において土下座は相手への完全な屈服、復讐する側とされる側の関係性が今後絶対に変わらないことを意味する不可逆性を帯びた行為と言えます。
『半沢直樹』はいわば「許さない/取り返しのつかない復讐」の物語なのです。
『山椒太夫』もまた、「許さない/取り返しのつかない復讐」の物語です。
山椒太夫に買われて労働を強いられていた主人公・つし王は、太夫のもとから逃げおおせ、出世した後、太夫とその息子三郎を捕らえると、二人の首をノコギリで挽いてなぶり殺し、火責め水責め、膝の皿をキリで刺されるなどの拷問の末に殺された姉・安寿の恨みを晴らします。
過剰なほど悲惨な姉の死に対し、つし王は「倍返し」の苛烈な方法で報いるのです。
『山椒太夫』は元々市井で語られていた物語です。
語っていたのは、いわゆる被差別階級、社会的底辺にいる人々でした。
一番下に固定され、脱け出す術もない人々は、主人公に過剰なほど酷な試練を与えた上でそこから抜け出させ、虐げる側に「許さない復讐」を果たす物語にどんな救いを、あるいは快感を求めたのでしょうか?
それは格差の拡大とその固定化が叫ばれ、毎日のように誰かがネット上で炎上する中、「倍返し」に熱狂する現代日本人が求めるものと同じなのでしょうか?
それとも全然違うのでしょうか?
そんなことが考えてみたくなった人は、新日本古典文学大系『古浄瑠璃説経集』あるいは新潮日本古典文学集成『説経集』に収められた『さんせう太夫』を読んでみてください。お近くの図書館に大抵収められているかと思います。
以上、まだ『半沢直樹』を見ていないBa.林がお送りしました。